
—まったく違う業界から和傘職人となられましたが、和傘が西堀さんを魅了したのはどんなところだったのでしょうか?
まだ、結婚前に妻の実家に来たとき、はじめて番傘を見ました。見たというより出会えたというか、ともかくそれくらいの衝撃で、そのときのことは忘れられません。シンプルな美しさに胸を打たれた——。それをきっかけに、公務員から職人へ転身したわけです。私自身に迷いはなかったのですが、日吉屋は妻の実家。私は和歌山県出身で、前職は公務員。両方の親に反対されました。先のない業界だと。当時、日吉屋は年間売上100万円程度でした。反対するのも分かります。
—先のない業界に身を投じたのは、やはり和傘のもつ美しさなのでしょうか?
それもあります。それと、日吉屋の茶道家元御用達の本式野点傘は、素材の竹は選び抜かれた九州の孟宗竹や岐阜の真竹、和紙は日本三大和紙のひとつ福井越前和紙の最高級品を使っています。表・裏千家の野点(屋外で開かれるお茶会)で使われるものです。その野点傘は、英国のエリザベス女王、故ダイアナ妃といった国を代表する賓客をお迎えする席でも使われていました。ともかく、のれんをたたむのは実にもったいない、そう感じたんです。

—日吉屋の新商品「古都里-KOTORI-」はどのように生まれたのでしょうか?
京和傘を太陽にかざしたとき、そこから透けるやさしい光、幾何学模様の織りなす竹骨のシルエットが、とても好きだったんです。あるとき、もしかしたら照明器具にも使えるのではないか?そう閃いたのが、「古都里-KOTORI-」です。
—2007年グッドデザイン賞を受賞されました。
本当に嬉しいことです。元々、「古都里-KOTORI-」の名前の由来は、小さい鳥という意味で、京都や日本だけでなく、自由に羽ばたいていってほしいという、願いが込められています。実は娘の名前「コトリ」にちなんでいます。最初は制作過程で、世界へ飛び立ってほしいという願いを込め、スタッフ間だけで呼んでいたのですが、呼んでいるうちに、だんだん愛着が湧いてきて、結局、商品名になってしまいました。
—2008年1月には、近年、ミラノサローネ以上に注目を集めるエキシビションであるパリのメゾン・エ・オブジェ(国際家具見本市)で、KYOTO PREMIUMとして展示されました。その際、「古都里-KOTORI-」は大絶賛を浴びたそうですね。
ありがたいことです。本当に世界で注目を集めることができました。今、また新たに、プロダクトデザイナー達と協同で「SINARU」という和傘の新しい形となるものを作っています。こちらもメゾン・エ・オブジェで大変関心をもっていただきました。もともと伝統というものは、革新が連続になって続いていくものです。いま僕らが作っているランプシェードや新しい傘「SINARU」が、5年10年経ち、新しい伝統となり、普段でも意識せず使えるようなものになってくれると嬉しいですね。

—ビニール傘の廃棄が環境問題になっていますが、和傘を普段使いしたいと考える人たちが増えているようです。
そうですね。「番傘」というのは、お茶でいうところの「番茶」と一緒です。つまり、普段使いとういう意味です。昭和30年代頃まで多くの家庭で使われていたようです。素材も竹と和紙でできていますし、大切にしながら、世代を超え、ずっと長く愛用できます。それと、和傘にあたる雨音というのは、洋傘と違った趣があり、実に楽しいものです。
—長く愛用され、趣があり、次の世代へつながっていく和傘のこれからが楽しみです。
日吉屋には、先代、先々代が作った傘の修理依頼が届きます。時々、私たちが今、作っているものが、次の世代や、次の次の世代の手によって直されていく様子を想像したりしますよ。持続する社会で、新しい伝統をそれぞれの世代が生み出していけたらいいと思っています。
―どうもありがとうございました。
* 本記事は2007年11月に行った取材をもとに再構成したものです。


西堀耕太郎 Kotaro Nishibori
唯一の京和傘製造元「日吉屋」五代目。和歌山県新宮市出身、33歳。新宮市役所に勤務した後、妻の実家「日吉屋」の京和傘の魅力に目覚め、職人の道へ。 2004年、日吉屋五代目に就任。「伝統は革新の連続である」を企業理念に掲げ、伝統的和傘の継承のみならず、和傘の技術、構造を活かした和風照明・和風 洋傘など新分野を開拓中。和風照明「古都里−KOTORI」で、2007年度グッドデザイン賞・中小企業庁長官特別賞受賞。
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