
—伝統があり、また観光都市としても有名な京都ですが、その地に『HOTEL SCREEN KYOTO』をつくったきっかけを教えてください。
そうですね。京都はご存知の通り、日本国内をはじめアジアやヨーロッパ、アメリカから、様々な人たちが年間を通して、観光にこられます。でも実は、宿泊施設は足りていない。老舗旅館でいえば『柊家旅館』や『俵屋旅館』が有名です。ホテルなら『京都ホテル』『都ホテル』『グランヴィア』などがありますし、最近ではグローバルブランドのホテルもできました。それでも、慢性的に宿泊施設は不足しています。
—つまり、そこにニーズがあった。ビジネスチャンスとして捉えられたのでしょうか?
いいえ、それだけではありません。京都の地域活性化を念頭においていました。部屋ごとにインテリアが違いますし、サプライズも随所に盛り込んでいます。それは我々のホテルへのリピーターを増やすためというより、少しでも京都に訪れるきっかけになればいいという考え方からです。
—島田さんは京都出身ということですが、地元に対して強いこだわりがあったのでしょうか?
それは、少し違いますね。僕は紋章工芸職人の息子として生まれたのですが、閉鎖的な京都を嫌って、東京に出てスポーツジャーナリストとして約10年間、仕事をしていました。でも、意外なところで京都に興味をもつことになりました。ちょうど サッカーワールドカップやオリンピックの取材時、欧米各地を巡って、現地の人たちに会うたびに、どこの生まれか聞かれました。それで「京都」と答える。すると、どの国のどんな人でも「京都」を知っていた。それからですね。世界というスケールで考えても、「京都」はブランド価値があると思い知りました。

—その頃の京都は、どんな状況だったのでしょうか?
京都の衣・食・住を支えてきた老舗が、軒並み消えていくという状況でした。
よく後継者不足と言われていますが、伝統工芸の需要がなくなったために、老舗の経営が立ち行かなくなり、後継者もつかない、という悪循環。それで必死に考えました。商流を作れば、後継者はできるんじゃないか、と。そんな中、明日、敷地を手放さなければならない友禅染の会社もあったのです。
それで、お手伝いしていくうちに、口コミで島田なら面白いアイデアがあると認めてくれるようになりました。少しずつですが、ビジネスになって、会社を設立したのもその頃です。僕がちょうど35歳ぐらいだったかな。

—具体的にどんな活動をされたのですか?
先に挙げた友禅染の会社を、アロハシャツで立て直しました。僕がアイデアを出しました。それをベースに京友禅のアロハシャツをつくりました。それでスポーツジャーナリスト時代の人脈を活かして、PRをして、タレントさんや歌手の方、クリエイティブクラスの方々に、サンプル品として差し上げました。すると、反響があり、NHK朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』で使っていただきました。それは大きな宣伝効果でした。僕は何かを実現し提供する時、買ってくれた人・作った人・自分自身、その“三方よし”を目指します。その想いは、アロハシャツに始まる「FROM KYOTO」プロジェクトから変っていません。
—自分の故郷について何かできないか、と考える人たちが増えてきています。島田さんから、アドバイスなどあれば伺えますか?
僕は一人の力はとても小さいと考えています。でも、ドリルのように壁を突き破る一点突破型で、小規模でいいから、インパクトのあることをスピード感をもってやってしまう。そこにパワーが生まれると思っています。その強い点と点を結んで、やがて線や面にしていく。できることからやっていく、その活動から、地域活性化できると信じています。
―どうもありがとうございました。
* 本記事は2007年11月に行った取材をもとに再構成したものです。


島田昭彦 Akihiko Shimada
京都の紋章工芸を営む家に生まれ、東山高校、立教大学、日経ホーム出版社『日経トレンディ』、文藝春秋 スポーツ総合誌『Number』のスポーツジャー ナリスト、『WOWOW』のスポーツプロモーションを経て独立。現在はJ-WAVEコメンテーター、雑誌連載、地域再生をテーマにしたビジネスサミット講 演、京都造形芸術大学特別講師など、多数のメディアを舞台に活動中。デザインホテル『HOTEL SCREEN KYOTO』、友禅アロハの『パゴン』、和傘照明『古都里-KOTORI』などのプロデュースを手掛け、京都の地域活性、伝統工芸老舗の再生に取り組む。
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