
―そもそも陶芸家となったきっかけはなんでしょうか?
実家が窯元で、中学を卒業してすぐ、父親に「おまえは絵がうまいし手先が器用だから家業を手伝え」と言われて、この世界に入りました。だけど泥まみれになる仕事でしょう? 若い頃は心底から嫌いでね。女学生が窯の脇を通ろうものなら、急いで身を隠したりしていましたよ。
―それが、今は人間国宝です。この高みまで作陶し続けている理由はなんでしょうか?
駆け出しのころ、僕の仕事に“ねらし焚き”というのがあってね。これは、窯をゆっくり焚いて窯の中の温度を少しずつ上げていく作業で、夜通し続きます。夜中の4時を過ぎると、急に睡魔が襲ってくる。毎回が眠気との闘いですよ。
ある晩、あまりにも眠たいので外を散歩していると、真っ白な花びらが暗闇の中、宙に浮かんでいる。なんだろうと見てみると、それは白梅でした。そのあまりの美しさに、眠気は一瞬に消え去って、同時に身震いするような感動を覚えました。美というものを強く意識し始めたのはそのときからですね。
あれからもう何十年も経ったけれど、今でもあの瞬間は忘れていません。そして今、ロクロを回しながら、「僕はあの自然の美しさ、儚さみたいなものを、土塊(つちくれ)で表現しようとしているのだ」という想いが、ますます強まっています。

―(中島さんは)「中島青磁」ともいわれる独創的な作品を生み出していますが、青磁は作るのが難しく失敗も多いと聞きます。ここまで青磁にこだわったわけはなんでしょう?
青磁の魅力に惹かれはじめたのは、28歳で独立する数年前かな。当時のことは覚えていないけれど、なぜ僕が青磁に惹かれてここまで来たのか、今考えなおしてみると、それは“青”が意味するところなのかな、と思います。青というのは未完成で発展途上で、裏を返せば躍動している色。そして自然に必ずある色。そういった青の中のさまざまな魅力に惹きつけられたのでしょうね。
―白梅が見せた自然の美しさ。それに共通するものが青磁にあったのかもしれません。
人間はみんな、美的なものを必要としているんです。たとえば、陶器で用途機能だけを追求するなら色はなんでもいい。だけどその中に美が加わることで、その器は使うだけではなく、愛用品になる。恋しくなる。結局は“美”が人間の心を揺さぶるのだと思います。
僕の箸はね、割り箸の角を丸く削って漆を塗ったものなんです。割り箸でも、漆を塗れば美しさが出て、10年でも20年でも持つ。用途機能だけじゃなく、そこに美を加える。そうすることで人は長く大事に使ってくれます。僕はそれが、本来の工芸家の仕事だと思います。僕の陶芸も、用途機能だけではない、美しさを備えたものでありたいですね。

―作陶はずっと、この弓野で行っているのでしょうか?
そうです。独立してからだから、もう30数年ですね。長年、この山の中で暮らして思うのは、作家にとって自然環境というものが非常に大切だということです。自然の中では一瞬たりとも同じ風景がない。同じ場所でも、日が出たり雨が降ったり、春夏秋冬、朝昼晩、刻々と変貌していく。一日一年、それぞれでドラマがある。僕の2007年からの課題は、その自然のひとつひとつをじっと穴が開くくらい凝視して、作品に昇華したいと思っているんです。
―具体的にはどういうことでしょう?
自分で言うのも変だけど、これまで漫然とものを見ていたような気がするんです。だからもう少し、顕微鏡で見るように、物体の向こう側まで見たいと思っています。透視するくらいの眼力で、もののひとつひとつを眺めれば、また自分の作品も変わってくるんじゃないか、と。
無言の中の雄弁をひろい上げるというのかな。作品は無言ですし、ものも無言。自然の草木も無言です。だけど、みんな生きていますし、なにかこう語りかけてくるものがある。その語りかけや変化を、一木一草一石たりとも逃さず、しっかり見ていきたいと思っています。そうすることで、また新しい青磁の世界が見えてくるかもしれませんね。
―どうもありがとうございました。
* 本記事は2007年10月に行った取材をもとに再構成したものです。


中島 宏 Nakashima Hiroshi
1941年、佐賀県武雄市西川登町弓野に生まれる。1981年、第一回西日本陶芸展総理大臣賞受賞。1996年、MOA岡田茂吉大賞受賞。2005年、第52回日本伝統工芸展でNHK会長賞受賞。2006年、日本陶磁協会賞金賞受賞。第65回西日本文化賞受賞。2007年、重要無形文化財保持者認定(人間国宝)。
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